可能世界 | A possible world

日月なきところにも昼夜があるような超現実的風景、世界海。仏説微塵経*1に説かれる世界海は... An imaginary sphere, in which there is no sun or no moon and yet days alternate with night, 日月なきところにも昼夜があるような超現実的風景、世界海。仏説微塵経*1に説かれる世界海はその一般化だ。 世界海は「可能世界」の一つではないかと思う。世界は偶然だらけ。もしブッダが出家していなかったら。もし玄奘がインドに到達しなかったら。もし道元がやんごとなき家を継いで関白になっていたら。平安時代を復活させ、新々古今集を編纂し、十二単を進化させていたら。でも『正法眼蔵』は書かなかったとしたら。その場合、当研究所はなく、したがってこの文章も書かれていないだろう。もしかすると架空の『正法眼蔵』について研究するというボルヘスの『伝奇集』に出てくるような展開はありえたかもしれないが。そんな無数の可能性のなかの唯一の現実性としてこの世界があるというのが、筆者がある哲学書のなかで読んだ「可能世界」論だ。 ただしこのいみでの可能世界論は出来事の偶然性に着目しているわけだが、世界海はそれとは少しちがう。世界海は構造レベルの偶然性を示している。ものごとは波のようだと言っているわけだから。個々の出来事ではなく、すべてのモノ・コトが波動的性質を帯びて存在するという可能性をいう。 可能世界は世界の外側にある。月は地球の外を回る。月は地球のためにあるわけではないが、とにかくある。そしていろんなメッセージを送ってくる。ただあるだけなのに。 道元はどう考えるのか。 しるべし、心を識得するとき蓋天撲落し迊地裂破す。あるいは心を識得すれば大地さらにあつさ三寸をます。 |正法眼蔵第五・即心是仏 知るがいい、心を識しるとき天は落ち地は裂ける。あるいは心を識れば大地は9cm隆起する。 ここにいう「心」は仏心のことだ。仏心と聞いて、多くの人は「仏のように優しい心」のことだと思うかもしれない。それだと「仏」がたんなる比喩に使われている。そうではないだろう。仏心は人心とは異なる心性をいう。たとえば世界海に在る者の心性を。 An imaginary sphere, in which there is no sun or no moon and yet days alternate with night, is called the World-Sea in the previous passage. It illustrates... Continue Reading →

控えの真打 | Messi in reserve

どうして世界海なんてことを考えるのか。月は月。巨大な物質の… Why do we need to assume the World Sea? Ordinary world’s knowledge tells us that… どうして世界海なんてことを考えるのか。 月は月。巨大な物質の塊が地球の周りを回っている。それでいいじゃないですか。「今日の月」は昨日はなかった。昨日は「昨日の月」があったんだ。そう考えるのが常識というものです。なぜ常識以外に、非常識が必要なのかときいているわけです。 道元に代わってお答えしましょう。必要なわけじゃありません。無くてもいっこうに構わない。だが、いっこうに構わないものが舞台裏でスタンバイしてるって、その舞台の格を上げませんか。ベンチに、先発の4番打者よりすごいかもしれないバッターが、座っているだけでも相手にプレッシャーを与えませんか。あえてメッシを出さない。あえて4回転アクセルを見せない。なのに観客は4回転を見た気がしてしまう。 ていうことを、次回はもうちょっと理屈をつけて述べたいと思います。 Why do we need to assume the World Sea? Ordinary world’s knowledge tells us that the moon that appeared last night is not “tonight’s moon” but “last-night’s moon”. This seems perfect. Any other strange view... Continue Reading →

月は波 | The moon as a wave

道元は言う、「今夜の月」は今夜だけあるのではない。明日は「明日の月」とともにあり... In Dogen’s view, tonight’s moon is not just the moon that appears tonight. Tomorrow night it will continue to be in the sky... 道元は言う、「今夜の月」は今夜だけあるのではない。明日は「明日の月」とともにあり、あさっては「あさっての月」と「明日の月」とともにある。昨夜もその前の夜も、じつはあった。平安時代にはやんごとなき人々の寝殿の上にかかり、縄文時代のある夜は栗林の上を照らした。ただ人間に見える「今夜の月」は今夜だけ。 「それはそうでしょう、月は太陽系が生まれたときからずっと地球の周りを回っていたのだから…」という科学的説明は問題外だ。「月」を「花」に変えれば、「今日の花」は平安時代にも咲いていると言っているわけだから。 これは何に似ているだろう。もしかして、波? 今夜の「今夜の月」が波源に相当する。なにかの実が一つ、池に落ちる。落ちるのは一瞬だが、落下は波となって水面を覆う。振幅は減衰するが決してゼロにはならない。「今夜の月」は今夜以後も波としてずっとありつづける。少々抽象的想像力を使えば、今夜以前にも波は及ぶ。時間軸をもった四次元の池。その原点に「今夜の月」が落ちる。波は未来に向かうだけでなく、過去にも拡がっていく。 ただ春秋に華果あるにあらず 有時かならず花果あるなり 華果ともに時節を保任せり 時節ともに花果を保任せり |正法眼蔵・空華 春と秋だけに花や実はあるのではない。時あるかぎりかならず花があり実がある。花と実はすべての時を覆い、時はすべての花と実を覆う。 道元の眼に映る四次元の、池というより海を、世界海と名づけることにする。   In Dogen’s view, tonight’s moon is not just the moon that appears tonight. Tomorrow night it will continue to be in the sky... Continue Reading →

十万年後の月 | All the moons across the time.

今夜の月は、ゆうべの月ではない。今夜の月は、きのうも、あしたも、今夜の月なのだ––– Tonight’s moon is a moon distinct from yesterday’s one. Tonight’s moon is always tonight’s moon. 昨夜たとひ月ありといふとも 今夜の月は昨月にあらず 今夜の月は初中後ともに今夜の月なりと参究すべし |正法眼蔵第二十三・都機 われわれは、道元の眼に世界はどう映っているかを再現しようといる。それはふつうの世界––– Wとしよう ––– とはちがうらしい。W を含んではいるが、それよりわずかにか、はるかにか、大きい予感がする。「大きい」とは、いろんな意味で。たとえば解像度が大きいとか、レイヤーの数が多いとか。 今回の例は、あきらかに「きのうの月は半月だったが、今日はちょっと太った半月だ」なんていう当たり前のことを言っているわけではない。地球との位置関係によって月の見えかたが変るなんていう物理的説明もここでは用がない。今夜の月は、過去現在未来を通じて今夜の月だというのだ。 論理的分析はあとでやろう。いまはこのなんとも超現実的な光景のなかに身をゆだねてみよう。十万年後の月は、いま、今夜の月とともに、今夜の夜空にかかっている。「未来は、もうある」。今夜はまさに満天の月、満天の星、満天の太陽だ。そのなかでただ「今夜の月」だけが、ひとり煌々と山河を照らしている。   Dogen says, Though there was a moon last night, the moon you see tonight is not last night’s moon. Study thoroughly, and you see that tonight’s moon, from beginning to end,... Continue Reading →

未来はもうある |What will exist already exists.

かつてあったものは今もあり、やがてあるものはすでにある–––という意味のことばを、映画「マイ・アーキテクト」のどっかで聞いたと思って.... It was probably in a film My Architect: A Son’s Journey that I heard the words: “What existed still exists, what will exist already exists”... かつてあったものは今もあり、やがてあるものはすでにある–––という意味のことばを映画「マイ・アーキテクト」のどっかで聞いたと思って、YouTube で見直してみたけどわからない。その何年後かに同じフレーズを仏典で発見した。その仏典もどれだったか忘れた。かつてあったものは、ただ記憶のなかにある。ちなみに「アーキテクト」とはルイス・カーンのこと。 漢文に訳せば「諸法常住」ってことになる。仏教の基本教義とされる「諸行無常」と真逆?こういう場合は「〜とされる」方を疑うのがセオリーだ。道元はどう考えているか。正法眼蔵「都機つき」の巻から: 月のときはかならず夜にあらず 夜かならずしも暗にあらず ひとへに人間の小量にかかはることなかれ 「月が出るのは夜とはかぎらない。夜は暗いと決まったわけではない。世間の小さな器のなかでものを見ないことだ」。 現代語では「必ず」と「必ずしも」の用法は分かれてしまったが、「〜しも」は強調の助詞なので、あってもなくても意味としては同じだ。「人間」は〝じんかん〟と読んで、俗世間のこと#1。これを英語の human の訳語に当て、読みかたも〝にんげん〟にするのはずっと後の時代だ。 日月なきところにも昼夜あるべし 日月は昼夜のためにあらず 日月ともに如々なるがゆゑに 「如々」はなかなか説明が難しいが、日は日として日の如くあり、月は月としてそのようにある、という意味だ。 日が出ているのが昼であり、月が煌々と照らすのは夜のはずでしょう。ところがそれは「人間の小量」だという。仏道の日月は昼夜にかかわらない。かつてあった月はいま真昼の山河を照らし、やがて昇る日はいま漆黒の闇に輝く。これはどうみても「諸法常住」ですよね。道元はカーンを知っていたのだろうか。かつていた道元と20世紀の建築家はどこかで会っているのだろうか。そこにマグリットがいるのは偶然? ^#1^ 中村元他 2002 『仏教辞典』第二版(岩波書店)・「人(にん)」の項より It was probably in a film My Architect: A Son’s Journey that I heard the words:... Continue Reading →

無数の空 | So many skies

「なに」を「どう」するか。日々、人間の考えることはこれに尽きるような気がする。そのいちばんベースにある、何て呼んだらいいか... All that matters for us is probably the question with a form: “What and How should I do?”... 「なに」を「どう」するか。日々、人間の考えることはこれに尽きるような気がする。そのいちばんベースにある、何て呼んだらいいか、コンピュータならOSに相当するもの、生物なら DNA。じゃそれを NDA としよう。N=なに、D=どう、A=?。 NDA は自分だけでは決められないし、自分だけのためにあるのでもない。コンピュータだってOSを共有することではじめて無数のコンピュータとつながるのだし、生物にいたっては、DNA の交換・共有つまりセックスと、子孫増殖とが、はじめからリンクされている。人が社会的存在であるかぎり、NDAもやはり、社会に共有されてはじめて機能する。その NDA のコードを書きつづけてきたのが、宗教じゃないだろうか。シンボルを拝むのは宗教じゃない。 道元の「一滴の水」は、どういうコードなのか。それを入力すると、何が起きるのか。ていうか、何を起こせるのか。「全月も弥天も、くさの露にもやどり、一滴の水にもやどる」。水滴に宿った天空はもとの天空ではない。デフォルメされた、新しい天空だ。しかもふたつと同じ水滴はない。水滴の数だけ、微小の天空が生まれる。生めよ。生みつづけよ。そのために水滴は存在するのだ、と。 All that matters for us is probably the question with a form: “What and How should I do?” Every day and night we are confronted by... Continue Reading →

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