器の教え | Lesson of instruments

ある調律師が言った。「楽器は音を出す器ではなく、聴く器なのです」。| A few years ago I heard a tuner saying in a TV program: Piano is not an instrument to produce the sound, but to hear the sound. 空には聞こえない音が満ちている。それを聞こえる音に変えるのが楽器なのだと。宝積禅師の詩は、その光バージョンということになる。万象があってはじめて月光が見える。万象は光の器なのだ。大は山河大地から、小は一滴の水にいたるまで、光の器でないものはない。さらに風流を好む者は、器を製作してまで中に住もうとする。 見えないものと聞こえないものは、限りなくあるにちがいない。宏智禅師の書に 水清徹底兮 魚行遅々 空闊莫涯兮 鳥飛杳々 という。水清くして底に徹し、魚の行くこと遅し。空闊ひろくして涯て莫なし、鳥の飛ぶこと杳はるかなり。その深さは泳ぐ魚の遅さで知られ、その高さは飛ぶ鳥の小ささで知られる。 道元は鳥飛魚行を呼んで「只し在ざい這裏しゃり」といった。かぎりなく高く深く、只ただ這裏ここに在れと。心を無にしている場合ではない。人がただ在ることを、鳥の飛空、魚の水行に匹敵させよ。この身を、水に満ち空に満ちる無限を聴く器とせよ–––と。(正法眼蔵・坐禅箴より) The air is filled with silent sounds, which musical instruments make audible. Similarly, the light is not visible by itself; it only shows... Continue Reading →

孤円 | A solitary circle

心月孤円、光、万象を呑む。光、境を照らすに非ず、境、亦た存するに非ず... The mind moon, solitary and full, swallows myriad forms with its light...   宝積禅師という人が詩を詠んだ(正法眼蔵・都機)。 「心月孤円」。物心連続仮説によって、月と、月をみる心とは、ひとつのものだ。よって心月という。心月がたったひとつ、夜空にかかる。これが火星なら「両円」というのでしょう。土星だと、月は環状となってどう見えるのか。 「光、万象を呑めり」。その光が地上のあらゆる形象をしずかに包む。 「光、境きょうを照らすに非あらず。境、亦また存するに非ず」。「境」とは輪郭のある領域のことです(現代語ではその輪郭だけを指しますが)。山川草木、土塀や小石、みな「境」です。つまり境とは、ほぼ、物体のことです。「光が境を照らしているのではない、境もまた存在しない」とは、何を言っているのか。物体がなくても光があり、光がなくても物体がある––––という常識が否定されているのだと思われます。物は光と出会ってはじめて誕生し、光は物と遭遇してはじめて存在しはじめる。 「光境倶ともに亡もうず、復また是これ何物ぞ」。光と境と、同時存在し、そして同時消滅する。物が無くなるだけではなく、光が消えるだけでもなく、両方ともに滅びる。その風景は暗さとかを通り越しているんでしょうね。暗黒を突き抜けた BLACK。それを老子は「玄」と言ったはずですが、老子のどこに書いてあったか思い出せない。   Here is a poem composed by Hōshak (Băojī): The mind moon, solitary and full, swallows myriad forms with its light. The light does not illuminate objects, Objects do not exist in site. Light and objects... Continue Reading →

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