意味を設計する | Design the meanings

「すべての物事を対等なものとしてみる」ことの反対は、「物事に差をつけてみる」ことだ。「差」の根拠は、価値や意味や順序だ。それらはキャンセルできる、と「対等」観はいう。仏教っぽく言えば、価値も意味も順序も皆な「空」というわけだ。 一切対等、一切皆空ならば、部分と全体は等しく、微小と極大は等しく、一瞬は永遠に等しいことになる。それはなにか起伏のない、のっぺらぼうで退屈な風景になりはしないか。ならない。対等観〜空観は、価値や意味のシステムを破壊するためにあるのではないからだ。むしろ、キャンセルできるとわかっていればこそ、価値や意味を使いこなし、設計すらできる。 …なんてことを正法眼蔵「全機」の章から読み取ったのだが、どの文がそう言っているのか特定できない。たぶん、行間に書いてあるのだ。   In the opposite side of “looking all beings as equal” is the idea of differentiation, where things are arranged in distinct classes based on values, meanings, or orders that are, from the equalist point of view, to be cancelled. Using a more Buddhist term, they are “empty”. Assuming all things are... Continue Reading →

水平の風景 | Horizontality is the basic arrangement.

日本の伝統的な家の造りは、土間があり、床があり、その上に屋根が架かる。つまり、水平の層から成る。壁や戸などは「しつらえ」に属し、それを作る職人もちがう。垂直の構造体が最小化されているから、水平方向には視線を遮るものがない。遠景の稜線や上空にかかる月も、近景の枯山水も、さらに近景の茶器その他の道具類も、ひとつの空間に在って、大小を問わずみな対等に扱われる。対等–––これがもしかすると正法眼蔵の床であり、屋根なのではないか。かれはこう言っている。 しるべし、自己に無量の法あるなかに生あり死あるなり。 正法眼蔵第二十二「全機」 「無量」は無数、「法」は law じゃなくて、ものごと。生も死も、自分にとって存在するいろんな物事のうちの一つ、月や枯山水や茶器なんかと同じ、一箇のものごとだ。一生は一茶事であり、一杯の茶は一生に匹敵する。 関連書:中川武『日本の家 ––– 空間・記憶・言葉』 TOTO出版 2004   The architectural space in pre-modern Japan was an ensemble of horizontal or semi-horizontal planes; floors and roofs. Vertical structures are visually minimized to thin pillars, leaving walls and sliding doors to be recognized as installation. Unlimited horizontal view encompasses the diverse objects –– mountains... Continue Reading →

空間の質を決めるもの | Joints to shape the social space

人と人が言葉を交わす。言葉が人と人を結ぶ。「言葉」のかわりに物でも、振舞いでも、また言葉+物+振舞いの複合でもよくて、それをあらためて広い意味の「言葉」と呼ぶことにする。言葉が人と人とのつながり–––社会–––を織り上げる。 建築家ピーター・ズントーは「空間の質はジョイントで決まる」と言った。ならば社会の質はそのジョイントである言葉によって決まるだろう。そこでブッダは、言葉に「仏法」を複合させることを考えた。それは明らかに、それまで世界に存在しなかった新しい言葉だ。人々の言語に、物や感情や天気以外に、仏法を語る語彙が混ざりはじめた。 仏々祖々嫡々相承せるはこれただ授記じゅきのみなり。さらに一法としても授記にあらざるなし。……授記は道得どうて一句なり、聞得もんて一句なり。 (諸仏諸祖が伝えてきたのはただひとつ、授記である。授記でない仏法は一つもない。……授記とは、一句なりとも言葉を道いい、言葉を聞くことにほかならない。) :正法眼蔵第二十一「授記」 「授記」とは本来、師が弟子に成仏の保証を与えることだが、その際、勿論なんらかの仏法の言葉が交わされる。道元は大胆にも「成仏の保証」を無視して、これを人と人とのジョイントの一形式とみているわけだ。   People communicate with words. Words works as joints connecting people. You can replace them with a complex of words, things and behaviors, which I will also call ‘words’ in a broader sense. It is precisely this complex that weaves the texture of society. An architect Peter Zumthor once... Continue Reading →

仏法は波紋のように | Dharma is like a wave.

魚も水草も、ミズスマシもミジンコも、水辺の生態系のなかで生きている。仏法もそう考えると... Fishes, as well as water weeds, striders and fleas, live in the water environments. Now think about the environment of dharma... 魚の体型や泳ぎかた、水草の色かたち、これらはそれぞれ魚や草の DNA で内側から決まっているというよりは、水辺の環境特性によって外側から造形されている。DNA もまた、環境に「選択」される対象の一つだ。 仏法もそう考えると、仏法はそれを伝えてきた数多の諸仏諸祖からなる伝法系のなかにある。それどころか、ブッダ成道の暁、山河大地も同時に成道したという伝承からすれば、仏法は一瞬にして宇宙に拡散し、個々人の「覚り」なるものは個々人のものでは決してなく、宇宙伝法系の全体に波紋のように広がっている。だから道元は言った、 至愚にしておもふことなかれ みづからに具足する法はみづからかならずしるべしと :正法眼蔵第二十一「授記」 山河大地が成道する(覚る)とは、いかにも不合理である。これを合理的に理解するために、以前、「物心連続仮説」を導入した(2017.10.21 連続仮説)。この連続性により、「心」のさとりは、心が見る「物」に移行する。私の覚りは私の見る山河の変容として体験される。   Fishes, as well as water weeds, striders and fleas, live in the water environments. Their forms, colors, movements, and other characteristics including the... Continue Reading →

火のわざ | Silent battle by the hearth

胡来胡現、漢来漢現の古鏡が、とうとう物理的サイズまで制御自在になった。| The Old Mirror, which let hu and han appear exactly as they are, has now achieved higher flexibility... 雪峰が言う、 世界闊一丈、古鏡闊一丈。(世界の大きさが一丈なら、古鏡の大きさも一丈。) 世界闊一尺、古鏡闊一尺。(世界の大きさが一尺なら、古鏡の大きさも一尺。) 今回は大小だ。一丈が来れば一丈を現し、一尺で来れば一尺であらわす。そこにふたたび玄沙が登場。火炉いろりを指して言う、 火炉闊多少。(火炉の大きさはどうなんですか?) たまたま火炉がそこにあったのか。襖や壁でもよかったのか。だがもし火である必要があったとすれば、火は煩悩の比喩だからか。煩悩の炉とは、衆生の心だ。すると雪峰は、 似古鏡闊。(古鏡ぐらいだ。) と答えた。火は煩悩、鏡はさとりの喩えに使われる。「煩悩すなわち涅槃」「迷即悟」という禅仏教の公式が思い浮かぶ。それを雪峰や玄沙が知らないはずはない。知った上で玄沙は火炉の闊ひろさを尋ねる。予測できないのは、雪峰がどう応えるかだ。だが雪峰はあっさり公式で答えた。そこで玄沙はいう、 老和尚脚跟未点地在。(和尚、地に足が付いていませんね。) 「和尚は火炉の大きさについてもっとしっかり反応すべきだった」という批判ともとれるし、「相変わらずどこにも着地せず、名人の身のこなしだ」と称賛しているともとれる。私としては、ここは玄沙の火炉に「技あり」を認めたい。それが煩悩の喩えであってもなくても、世界/古鏡という抽象度の高い二極の間に、同系の「明鏡」ではなく、異質な「火炉」を置いた。さすがは雪峰、すぐにこれを認めて、公式をもってきて降参した。もちろん降参のしかたにも名人の技量は隠せない。「似古鏡闊」、古鏡の闊さと「同」じとは言わずに、玄沙を少しだけ不安にさせる。 –––正法眼蔵第十九「古鏡」 One day Xuefeng talked to the assembly, While the world’s width is 1 zhàng, the Old Mirror’s width is 1 zhàng. While the world’s width is 1... Continue Reading →

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