世界の出口 | A Way Out

一神教/多神教という分類があるが、誤解の源泉だと思う。数の問題ではないからだ。 伊勢神宮にはアマテラスとトヨウケの二神が祀られている。これらは対等ではない。トヨウケがアマテラスに仕える関係だ。推測するに、トヨウケとは、古代前期に小さなクニグニが点在していた日本列島で、各クニごとに存在したローカルな主神の一つだった。やがてヤマトがそれらを征服・統一していくなかで、ヤマトの主神アマテラスとローカルな神々との関係を象徴的に示すモデルとして、伊勢のトヨウケが選ばれたのではないか。 A common classification of religions into monotheism and polytheism would be misleading because what really matters is not the number of deities. Ise Shrine, a major sanctuary of Shinto that is the native religion of Japan, has two gods Amateras and Toyowuke on its sacred board. They are not equal to each other;... Continue Reading →

微分された世界 | Differential dharma

物理学者・苑田尚之は「数式は言語である」と言った。もし物理現象を数式なしに日常言語だけで述べようとしたら、長さだけでも100倍は下回らないだろう。複雑かつ膨大な説明を 1/100 以下に圧縮・軽量化してしまう数学という言語を、使わない手はない。 古代インド。王があるとき大勢の高僧を招いてパーティを催した。皆、王の前に出て経典の一節を読誦し、解説する。ところがひとり般若多羅はんにゃたらは何もしない。王が不信に思って問い質すと、般若多羅は言った。わたしは諸縁と我身とを離れたところに在って、今も眼前にある「経」を読誦している。一巻や二巻どころではなく、百千万億巻をずっと誦み続けている。 「我身を離れ」は原文では「不居蘊界」である。蘊は「我身」を成す物理的・心的要素の集積を意味する。「蘊界に居ない」。物心界つまり世界の外部。これを日常言語で語るのは至難だ。日常はまさに蘊界にほかならないのだから。ニュートンはどうしたか。 収縮している宇宙があるとしよう。その宇宙には中心 (O) があって、恒星も惑星も微小な粒子も、すべての天体が O に向かって収縮している。それは次の微分方程式で記述されるものとする: x" = – k x                                (1) 意味はこうだ。中心 O から距離 x 離れた天体が、その距離 x に比例する大きさの加速度 x" をもって O に向かっている。中心から離れているところほど、大きな加速度がかかってこの宇宙は収縮しているというわけだ(x の前にマイナスが付いているのは、距離とは逆向きに加速度がかかるから)。k は比例定数。話を簡単にするために、 k = 1 としておこう。 微分方程式 (1) を「解く」とは、(1) を満たす x を時間 t の関数 x... Continue Reading →

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