常識が書き換えられる時|A belief transformed into a fact

世界に「外」がある。 そんなこと、確かめることはできない。しかし「ない」と断言もできない。蟻たちに聞いてみればいい。かれらは地面の「上」を知らない。それがある、もしくは無いことを検証する術はかれらにはない。それがあろうがあるまいが、気にせずに蟻の生活は営める。 ところが蟻史上、一匹の蟻–––Aとしよう–––が、啓示を受けたか悟りを開いたかして、「上」の存在を確信し、人々に説き始める。最初は誰も聞く耳をもたない。ようやく集まった数匹の蟻グループも、へたをすれば弾圧される。どうにかこうにか、うまいぐあいに引き潮の時に対岸に渡った後、大波が押し寄せて、追ってきた女王蟻の軍隊が飲み込まれてしまったとか、Aは案外軍事的才能があって、弾圧側を上回る戦闘能力で追手を撃退し、町を制圧することに成功したとか、そんなこんなの物語があって、徐々に一般の蟻たちがAの言うことに耳を傾けはじめる。地上の上の空間の存在を、試しに信じてみたりする。その存在を前提にして日々の生活をしてみる。そうすると、あれ、なんかちがうかも!と思えたら、「上」なんか「ない」という常識は「ある」という常識に書き換えられていく。 とまあ、そんな感じで、世界の「外部」には2つの種類がありうる。「焦点」をもつか、もたないか。もつのが一神教(イスラーム・キリスト教・ユダヤ教)で、その焦点を、アラビア語でアッラー、英語でゴッド、ヘブライ語でヤハウェかエロヒーム、日本語で神と呼ぶ。もたない方が、仏教。   The formula I have set says: “The world has its outside”. No one can prove that it is true or not. Imagine a crowd of ants, who have no idea of the space above, nor any procedure to determine whether it exists or not. Such a “philosophical” matter will not... Continue Reading →

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