ジョイントを交換せよ|Buddha’s project to redesign the society (2/2)

ブッダはどうしたか。 ブッダは、言語に「オブジェクト指向」を導入した。つまり、人々の交す言語に、仏法というオブジェクトを追加した。それはまだ見ぬ認識風景の集まりみたいなもので、ブッダ自身、「我は無い」とか、「あらゆるものは無常だ」といった程度の最小限の内容しか与えていない。だがこのオブジェクトを設定することによって、そこに様々な属性を定義していくというプログラムがひきおこされる。ただ言葉を交すのではなく、仏法について言葉を交す。これによって仏法経由の言語が日常の言語空間を浸潤していく。同様の試みが西方で「神」オブジェクトによって開始されており、それがやがてイエスによって、次にムハンマドによって更新されることを、ブッダは知らない。 だからブッダは人々に向かって説法した。ひたすら仏法言語を拡散することに努めた。黙って自分だけ「さとり」に浸っている場合ではなかった。 道元に語ってもらおう: 大道十成するとき説法十成す 法蔵附嘱するとき説法附嘱す 拈華のとき拈説法あり 伝衣のとき伝説法あり このゆゑに諸仏諸祖おなじく威音王以前より説法に奉覲しきたり 諸仏以前より説法に本行しきたれるなり 説法は仏祖の理しきたるとのみ参学することなかれ 仏祖は説法に理せられきたるなり |正法眼蔵第四十六・無情説法 つまりこう言っている。仏法を経由する十個のコードは十の言葉として人々に共有され、一揃いのプログラムが与えられれば一篇の物語となって拡散する。華を拈れば華を説き、衣を伝えれば衣を説く。こうして仏祖たちはみな永劫の昔から仏法の言葉を創り、広めつづけた。しかも、仏祖が仏法言語を創っただけではない。仏法言語が仏祖を創りもしたのだ。   The strategy Buddha developed to change people's way of using their language can be called 'object-oriented-ness'; he added an absolutely new object, dharma, to the language people spoke. It is kind of a yet unknown collection of facts and truths about yourself, your experience, the world you... Continue Reading →

やがて世界が覚める|Propagating awareness

正法眼蔵(広義)はそもそも一つの壮大な構想の企画書である。ブッダがその草案を書き、道元を含む諸仏諸祖が更新を重ねてきた。大乗仏教の段階で、仏はこう定義しなおされた。それは〝目覚めた者〟であるだけでなく、人を〝目覚めさせる者〟であるべしと。これによって覚性 awareness が世界に拡散される速度は格段に上がるはずだ。個の悟りが人類レベルの覚醒に拡大する。 十方尽界にあらゆる過現当来の諸衆生は、十方尽界の過現当の諸如来*なり。 :十方世界の過去現在未来のすべての衆生は、十方世界の過去現在未来の如来たちである ––– 正法眼蔵・第四十一「三界唯心」 これは「衆生はそのままで如来である」というような寝ぼけた現状肯定論では全くなく、覚性波が諸衆生を諸如来に変えていく様子を描いている。その金波銀波は過去現在未来を問わず、壁にも石にも草にも木にも向かい、一切の衆生と、一切の衆生の見るもの触れるものとを、次々に覚醒させながら、あっというまに十方尽界の果てに到達するのだ。 *  「如来」は仏の呼称の一つ。 Buddhism is a grand project that Buddha started and a number of his followers, including Dōgen, revised and modified. Mahāyāna redefined the idea of buddha not only to be an awakened one but an awakening one, who is ready to communicate his/her awareness to others,... Continue Reading →

世界の出口 | A Way Out

一神教/多神教という分類があるが、誤解の源泉だと思う。数の問題ではないからだ。 伊勢神宮にはアマテラスとトヨウケの二神が祀られている。これらは対等ではない。トヨウケがアマテラスに仕える関係だ。推測するに、トヨウケとは、古代前期に小さなクニグニが点在していた日本列島で、各クニごとに存在したローカルな主神の一つだった。やがてヤマトがそれらを征服・統一していくなかで、ヤマトの主神アマテラスとローカルな神々との関係を象徴的に示すモデルとして、伊勢のトヨウケが選ばれたのではないか。 A common classification of religions into monotheism and polytheism would be misleading because what really matters is not the number of deities. Ise Shrine, a major sanctuary of Shinto that is the native religion of Japan, has two gods Amateras and Toyowuke on its sacred board. They are not equal to each other;... Continue Reading →

空に生ふる樹木、雲に生ふる樹木 | Trees growing in the sky, growing in clouds.

井の中の蛙大海を知らずというけれど、人間がその蛙でない保証はない。蛙たちは電波望遠鏡を用いたり探査衛星を飛ばしたりして井戸の拡張に努めてはいるが、もちろん拡張された井戸も井戸であることに変わりはない。仏祖は井戸のはるか彼方に広がる大海を仏性海と名づけた。仏性とは覚性のこと、覚醒した蛙にしてはじめてその波の音を聴くことができる。井戸と仏性海の樹林とを比べて、道元はいう:   天上人間の樹林はるかに殊異あり 天上の樹林と地上の樹林はまったくちがう。 中国辺地の所生ひとしきにあらず 中心か周辺かでも同じではない。 海裏山間の草木みな不同なり 海の草木、山の草木も、みな異なる。 いはんや空におふる樹木あり 雲におふる樹木あり それどころか、空に生える樹木があり、雲に生える樹木がある。 (正法眼蔵第四十六・無情説法) 世に無情説法なる説があって、樹林が風に鳴るのも、花が散り葉が落ちるのも、樹木(無情)が仏法を説いているにほかならないという。道元によれば、それは取るに足らない愚見である。せいぜい井戸の中の無情、その縁に生えた苔の類いが仏法を説いていると主張するにすぎない。もし無情説法をいうなら、仏性海の無情の説法にこそ耳を傾けよ。空の樹木、雲の樹木の説く大海の法を聴けと。 空樹雲樹は一種のシュール・レアリズムなのか、シュール・レアリズムは一種の仏法なのかということも、考えてみてもいいかもしれない。   We have an old proverb saying, "the frog in the well does not know the great ocean". The "frogs" could be human beings. While they have spared no effort throughout their history in expanding the well with science and technologies such... Continue Reading →

紐理論 | String theory in Buddhism

7月21・22日、道元研究の国際シンポジウムが東京で開かれた。講演者の一人アルド・トリーニの言葉通り、道元を世界思想家として考える時代がやってきたのだ。講演者の中には依然として道元を曹洞宗学に回収しようとする意思を隠さない者もいたが、もはや道元の世界化を止めることはできないし、止めるべき理由もない。(なんか翻訳日本語調になっている気がするが、興奮がまだ消えていないからだ) フッサールの「間主観性」というアイデアを道元の文脈に挿入するのを試みたゲレオン・コプフの講演を聴きながら、考えたことがある。コプフの意図には沿っていないかもしれないが、まさに沿わないことが彼の意図なのだとも思う。フッサールから道元へ、道元からフッサールへの伝法の意義は、共通点を探すことではなく、変換を記述することにある。そうでないとしたら、仏法はゴータマ・ブッダの言葉を凍結固定して保存すればよく、後世の仏弟子は初めの仏説を復元することに努力を傾注すればよかったはずだ。だが仏法はそうではなかった。ブッダの DNA はたえず変異を繰り返しながら進化し、さらにこれから世界スケールの多様性を受け入れようとしているわけである。 紐があるからその両端がある。端だけがあって後から紐で結ばれるなどということはない。これが「間主観性」という視点であると思われる。コプフの説明によれば、フッサールは「端」から出発して「紐」を発見した。道元は逆に、「紐」を辿って「端」に達する。紐をどこで切断するかによって端の形状はどのようにも変る。雪竇せっちょう(980–1052)はこう述べた: 世尊有密語 迦葉不覆蔵 一夜落花雨 満城流水香 ––– 正法眼蔵・密語 咲き誇る花(密語)が一夜にして流水の香り(不覆蔵)となる。こうしてさまざまな形に「端」を現成させながら仏法の「紐」はどこまでも続く。「紐」はつねに「端」の「間」だが、その「間」こそが実在であって、「端」は「間」の断面にすぎない–––とまとめても、フッサールから文句が出ないことを願う。そしてその紐は誰かが製品として用意してくれてあるのではなく、編みつづけなければならないものだということも、付け加えておく。   The first international symposium on the study of Dōgen was held in Tokyo last week. It was really a landmark meeting as Aldo Tollini, from Universita Ca' Foscari di Venezia, said in his lecture; “Now the age has come to consider Dōgen... Continue Reading →

もしも道元が数学者だったなら | Dōgen’s sequence of practice

  修行の彼岸へいたるべしとおもふことなかれ、彼岸に修行あるがゆゑに。 |正法眼蔵第三十四・仏教 これは「修行に終りはない」という意味にとっていいのだろうか。もしそうなら「彼岸」はなんのためにあるのか。「彼岸」とは(煩悩の)川を渡り切った向こう岸のことだけど、それは日常行為にとっての「目標」みたいなもので、修行を動機付けるための方便にすぎないのだろうか。...と考えているうちに、これは「数列」に似ている!と思った(前回)。 高校で無理数を習った読者はそれを一旦忘れてもらって、√2 という記号を、次の命令を表すものとする: x2 < 2 を満たす、小数点以下 n 桁の小数で最大のものを書け。 その小数を an としてこの命令を実行すると、 a0=1, a1=1.4, a2=1.41, a3=1.414,  a4=1.4142, . . .   (✻) という数列が出来る。念のため a1と a2 についてだけ確かめてみると、 1.4×1.4 = 1.96 < 2,   1.5×1.5=2.25 > 2 1.41×1.41 = 1.9881 < 2,   1.42×1.42 = 2.0164 > 2 以下同様。こうして命令 √2 は数列 1, 1.4, 1.41, 1.414, 1.4142, ... を生成する。これを √2 →... Continue Reading →

数は量れるか、量は数えられるか | On counting and measuring

志賀浩二『数と量の出会い』2007 によると、今でこそ「数量」という言葉があるが、数と量はもともと全く異なる概念だったという。 考えてみれば、その通りだ。「数える」ことと「量る」ことは全然別の行為ですからね。たとえば、数えた結果が「ほぼ…」になることはありえない。ひぃふぅみぃ…と数えて「ほぼ十二枚でんな」と急に関西弁になると、すぐ番頭はんに「あほ!きちっと数えんか!」と怒られる。「きちっと数える」ことが可能だから怒られるわけだ。数がもっと多くなって、大阪の人口が「約250万」としても、それは下の方の桁を省略しているだけで、必要なら「約」を外した数は示せるはずだ。一方、量については、量るという行為が測定器を使う以上、その精度に応じて測定結果はつねに更新される。「1mの棒」はありえない。「約1m」「約 1.027 m」「約 1.02734m」… の棒しかないのだ。 その水と油のような数と量とがいかにして出会ったか。それがこの本の主題であり、そして同じようなこと –––「量を数える」みたいなこと ––– が数学以外の場面にもありそうだと思うわけだが、その前にもうちょっと数学。 究極の定規 “G” が開発されたとしよう。Gはどんな物体も望みの精度で正確に測定できるし、Gを装備した工作機械 MG は何でも正確な精度で物を作れる。「一辺が 1m の正方形」と入力すると、 MG は一瞬でその正方形を出力する。では、その正方形の対角線の長さを測りなさいと命令すると、精度ハ?と尋ねてくる。小数点以下百万桁といえば百万桁を、十億桁といえば十億桁を、MG は1秒もかからずに出してくる。こっちがそれを読むのに(読もうとは思わないが)1週間かかるとしても。その最初のいくつかは、二千年前のギリシャの数学者がすでに計算してある。 1.414 1.4142 1.41421 1.414213 1.4142135 ... それって、√2 のことでしょ?と答えないでほしい。まさにその √2 の謎に出会おうとしているのだ。そしてそれは、道元のことば: 修行の彼岸へいたるべしとおもふことなかれ、彼岸に修行あるがゆゑに。 |正法眼蔵第三十四・仏教 と何らかの関係をもっているにちがいないと思っている。続きは次回。   The number and the amount are quite distinct ideas, representing the actions of counting and measuring respectively. You can count the exact number of a... Continue Reading →

百千万億の経巻 | You will read billions of scrolls of sutras out there.

二十七祖・般若多羅はんにゃたら尊者が国王主催の昼食会に招かれた時のこと。 国王が尊者に問い質した、「他の僧侶らは皆わたしの前で経典を読誦した。あなたはなぜしないのか」。すると尊者は答えた、「諸縁に随わず、我身に安住もしない。わたしは百千万億巻の経典を常に誦じている。一巻や二巻どころではない」。–––正法眼蔵第三十「看経」より ここで「我身に安住しない」と訳したところは「不居蘊界」で、蘊界とは五蘊(人間の身心を構成する五要素=色受想行識)をいう。尊者が居るのは、五蘊に規定された世界の外ということになる。不随衆縁・不居蘊界の眼に映るすべてのものは、たとえ文字でなくても仏典でないものはなく、耳に聞くすべての音は、たとえ言語でなくても仏説でないものはない。 蘊界の外。そこは蘊界の別なく、もの・ひと・ことばが交わる空間だ。その空間を一々の衆生の行動様式として「現成」させる。どうやらこれが仏道のほんとうの目的ではないか。個人のさとりとか、もう関係ない。   When the King of East India invited Prajnatara the 27th Ancestor to his luncheon, the King asked him, “Everyone turns [reads] a sutra except you, venerable. Why is this so?” Prajnatara said, “While exhaling I do not follow conditions. While inhaling I do not reside in the realm of skandhas... Continue Reading →

善は作られる | Righteousness is an artifact.

「正法眼蔵」とは正しく伝えられた仏法の要点(眼)の集成(蔵)という意味だが、ここまで見てきたところ、どうやらその要点は「点」ではなさそうなのだ。正法とはこれとこれとこれです、という形で示せない。正法は「これ」であったり、なかったりする。 諸悪なきにあらず、莫作まくさなるのみなり。諸悪あるにあらず、莫作なるのみなり。|正法眼蔵第三十一・諸悪莫作 たとえば諸悪はないわけではなく、あるわけでもない。有か無かという選択が、仏法にはないのだ。諸悪に対してはただ「莫作(作さない)」だけだという。どういうこと?同様のことが衆善(=諸善)についても言われる: さきより現成して行人をまつ衆善いまだあらず。作善さぜんの正当恁いん麼も時、きたらざる衆善なし。万善は無象なりといへども、作善のところに計会すること磁鉄よりも速疾なり。|同上 あらかじめ善というものが存在して人が来るのを待っているなんてことはない。善は有るのではなく、作すのだ。有る善を作すのではなく、作すところに善が出来る。どんな善もそれ自体に善の象かたちが定まってはいない。だが作善するまさにその時(正当恁麼時)、万の善が、磁石に引き寄せられる鉄片よりも速く集結する。 行為をベクトル、行為の対象を点で示せば、道元は世界を点の巨大な集合ではなく、ベクトルの海とみているようだ。海流にしたがって無数億の点が離合集散し、ところどころに島ができている風景。   Although 'Shōbōgenzō' –– Treasury of the True Dharma Eye –– literally means “Collection of the True Dharma Points”, they do not seem to be a collection of points; you will not be able to point to this dharma or that dharma in the collection. A dharma could be... Continue Reading →

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